526 筑波山 (つくば道) 交通 R6・294・354-県道45-R125-つくば市北条 単独
2016年10月5日(水) 曇のち雨
 台風18号が接近し「明日は西日本・近畿地方は大荒れ」の予報が出ていた。一応準備だけはしておいて朝起きた時の「観天望気」で予定通り実行するかどうか、決める。単独行のいいところは自分の都合だけで決められると言うことだ。
 朝起きて…。雲は多いが直ぐ降りそうではなかった。5時の天気予報も「曇り午後からは雨」の予報に変わったので早めに出かけ、早めに帰ることにした。
 今日は今まで歩いたことのない「つくば道」を歩いて山頂まで行く計画。半分以上が里山歩きなので荒天になってもリスクは少ない、と考えた。
 6時10分自宅発。往きは常磐道を谷和原ICまで使いあとはナビ任せで7時50分北条大池公園着。車は公園南の体育館の広い駐車場が使えた。車内で朝食を済ませ8時25分出発。池から見える筑波山は遠かった。

 

8:26
北条大池から筑波山遠望
 大池を半周して「平沢官衙遺跡」へ。奈良時代、石岡に国府が出来る前はここらが常陸国の中心地だったらしい。復元された高床式建物が3棟丘の上に建っていた。大雨になっても洪水にはならない、古代人はよく考えていた。背後の小高い山は残念ながらゴルフ場になってるけども奈良の天の香久山のような感じ。ならば筑波山はさしずめ三輪山か葛城山?
 30分ほど歩くと郵便局のあるY字路。右に行くと普門寺。「観光協力 トイレ使えます」の案内があった。この辺り大きな構えの家が多い。同じ苗字の家が並んでいる。
 新しい「臼井地区 お散歩MAP」の案内板があった。観光地として整備している。歴史的建造物群」といえそうな家並みだがあまり知られていない。道はここまで緩やかな下り、小川を越えると左右に水田が広がる。どこにでもあるような風景だが大化の改新の条里制の跡と聞けば見る眼も変わってくる。前方真っ直ぐな道の先に筑波山神社の赤い鳥居が見える。
 9時30分登り坂が始まる。古道とはいえ舗装路だ。足首に堪える。9時37分一の鳥居。ここで水分補強。筑波山神社まであと950m。日差しはないが結構汗をかいた。
 道の傾斜はますますきつくなり路面は水捌け用の溝が掘ってある。軽トラックがうなりを上げて通過。観光客には走れそうにない狭くて急な道路だ。

8:35
平沢官衙遺跡公園
(ヒラサワカンガイセキコウエン)

9:00
普門寺入口

9:12
神郡(カンゴオリ)の古い家並み

9:15
つくば道臼井地区 延長線上に赤い大鳥居

9:37
石造りの一の鳥居

9:45
急坂を振り返る
 9時53分ペンキの剥げかかった「筑波山郵便局」の建物。営業してるのかと中をのぞいたら『11月1日頃開きます』との張り紙。
 階段を登りきり振り返ると『旧郵便局は左、新郵便局は右に曲がった左側』との案内看板があった。県道を渡り最後の階段を登れば見慣れた神社前の土産物屋街だった。
 10時一息入れてからケーブルカー沿いの登山道で御幸ヶ原へ11時30分着。天気が悪いので観光客は殆んどいない、と思っていたら小学生の集団が大勢いた。緑のジャージ、紺のジャージ、普段着姿、服装の違う3つの学校、総勢3百人近かった。それでコマ展望台は「貸し切り」。子どもたちは前日からテルテル坊主を作って祈ってた?

9:53
旧筑波山郵便局
 
 
12:07
御幸ヶ原
 女体山は終日雲に覆われていたので今日は男体山の頂上だけ踏んでおくことにした。11時45分山頂の社殿には神主さんがいた。長らく通行止めになっていた研究路の迂回路が山頂から北に開通していた。12時御幸ヶ原に戻り茶店でナメコうどんを頂く。
 12時30分往路を戻ることにした。途中で50人位の若者集団とすれ違う。女性のほうが多そうだったので大学の同好会か何かと思って聞いたら某企業の新人研修の一環だとか。ドングリを拾いながらノンビリ下った。
 神社に着いたら小雨が降ってきた。傘をザックから出し時計を見るとちょうど14時。雨のことも想定して筑波駅発バスの発車時刻は調べてある。14:30、15:30…。ノンビリしてたら中途半端な時間になる!
 急いで階段道を下り新郵便局のある方の道で筑波口(筑波駅)へ。2.2kmの道のりを途中走ったりして14時30分ぎりぎり。バスは発車寸前だった。
 土浦行きのバスには無事乗れた。乗客は私一人だけ。15分360円、バスから降りたとき雨はあがっていた。
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