268 | 狩倉山1452m | 交通 | 新宿−JR−奥多摩−バス−大沢 | 3人 |
2005年4月9日(土) 晴れ |
狩倉山は奥多摩の六ッ石山の東、石尾根上にあるが縦走路から外れているので知られていない。その狩倉山に北東から突き上げる日陰指尾根から登る。地図に道はないのでネットで検索したわずかな資料をもとに神田山の会3人で挑む。 |
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2万5千地形図 |
東京駅6時7分発特別快速で立川乗換え奥多摩駅着。8時30分東日原行きのバスは超満員。大沢下車。 8時42分、バス停から右手の橋を渡らず左の道へ向かう。 8時50分、カーブを曲がった次のヘアピンカーブの先からスギの植林帯に分け入る。目印はない。植林とはいえ急勾配なので適当にジグザグをつけて登る。 枝払いされた小枝や葉が幾重にも重なり歩きにくい。歩くたびに白い粉が舞う。花粉症のNさんは初めからマスクをしている。 |
8:50 取り付きはガードレールの切れ目から |
9:40 第一の露岩帯 |
標高600m辺りから傾斜がゆるむ。9時45分、800m付近の第一露岩帯を左側から通過してから最初の小休止。 10時、900m付近の等高線の込んでいるところは左上する。この辺りでスギの植林が終わり雑木林となる。土が柔らかいので慎重に登る。左下は岩交じりの急斜面である。 10時25分、第二の露岩帯を過ぎると地図上の1080m地点。一番の急登を終え一服する。ここから尾根が痩せるがその分土が硬くなり歩きやすくなる。 背後に川苔山、長沢背稜の山々が見えて来た。 |
10:15 第二の露岩帯 |
11:17 ところどころに目印の白いテープが 第三の露岩付近 |
『農大』と彫られた古い石の杭が埋まっている。赤と黄色のプラスチックの杭も打たれている。ここから上は人の手が入っているようだ。 10時55分、等高線の1250m地点で痩せた岩尾根上に達する。突然、右手に頂上が見えてきて思わず一息入れる。尾根はここで直角に曲がる。 11時20分、1400m付近の第三の露岩帯は中央突破。岩は脆いので生きた木を頼りに攀じ登る。 |
11:37 山の神尾根との合流点 雪が残る |
11:41 狩倉山 頂上標識 |
なだらかなピークになりなにやら標識のようなものが現れてくる。一旦下った鞍部にわずかに雪が残っていた。 尾根は最後の上りで右から山の神尾根を合すると頂上であった。11時40分。山名を表すプラスチックの名札が木に打ちつけられていた。「ああ、ここが頂上か」 12時7分下山開始。防火帯としてすっかり切り開かれた石尾根を三ツ木戸山まで下る。 |
12:41 十二天山の標識 |
12:52 十二天尾根から狩倉山を仰ぐ |
13:10 林道終点から川苔山、本仁田山 |
12時40分、縦走路は三ノ木戸山の北をからみ、やがて右にカーブし下りにかかるところに『奥多摩駅方面』の立派な標識が2つある。そこを左にはいると突然立ち木に『十二天山』と書かれた白いテープ。 「え、なんでここが頂上なの?」という感じである。 「十二天尾根、難路」という木札があったが途中まではフミアトがはっきりしていた。 「農大演習林」の看板もあった。日陰指尾根の1080m地点からずっと農大と彫られた石の標識があったので今日歩いた範囲はそっくり農大の演習林というわけ。 |
13:14 新しく出来た休憩舎 |
13:14 休憩舎脇の石仏 |
左手に先ほど登った狩倉山が尾根を下るごとに高くそびえるように見えてくる。 地図上の804m地点まで林道が延びていた。簡易トイレと出来たばかりの休憩舎があった。13時12分。 神事に使う縄やサカキが供えられていた小さい社もあったので麓の神社の奥の院? |
10分程休憩して下山路を探すがよく分からない。とりあえず尾根を直進し右に折れ植林帯を下る。 伐採した小枝や葉が分厚く堆積して歩きにくい。リーダーのI氏が偵察で更に下るが引き返す。結局もとの休憩舎まで戻り林道を下ることに決定。 「平成16年9月伐採事業地」の看板あり。ここから下は山ではあるが林業関係者の職域、と諦める。13時50分。 この林道は農大研修センターや東京消防庁のヘリポートを繋ぐ生活道路になっている。 林道を1時間20分歩いて、15時20分奥多摩駅着。 |
13:47 この先間伐材が分厚く堆積し歩行困難 |